ある朝、道修町を歩いていると、昨夜から降り続いていた雨がようやく上がりました。
建物の軒先からは、まだ雨粒がぽつり、ぽつり。
歩道の植え込みは濡れ、いつもより緑が鮮やかに見えます。
足早に会社へ向かう人、傘を閉じる人、ビル先を掃除する人。
雨上がりの街には、いつもの朝とは少し違う、澄んだ空気が流れていました。
そんな日常の一コマから思い出した禅語があります。
「雲収山岳青(くもおさまりて、さんがくあおし)」
雲が収まれば、それまで隠れていた青々とした山が、ありのままの姿を現すという意味です。
雲に覆われて山が見えなくなっても、山そのものが消えたわけではありません。
私たちの心も、これとよく似ています。
仕事が思うように進まない。
相手の何気ない言葉が気にかかる。
将来のことを考えると不安になる。
そんなとき、心の中には次々と雲が湧き、普段なら見えるはずのものまで見えなくなってしまいます。
本当は答えが目の前にあるのに、考え過ぎて気づけない。
相手の親切を素直に受け取れない。
まだ起きてもいないことを心配し、今やるべきことに集中できない。
けれども、それは自分の中から答えがなくなったのではありません。
ただ一時的に、雲に隠れているだけなのです。
心が曇っていると、私たちは早く晴らそうと焦ります。
「前向きにならなければ」
「すぐに答えを出さなければ」
「もっと頑張らなければ」
しかし、空の雲を手で追い払うことができないように、心の迷いも力ずくで消そうとすると、かえって苦しくなることがあります。
そんなときは、温かいお茶を一杯飲む。
机の上を片づける。
少し外を歩く。
深く息を吐く。
目の前の仕事を、一つだけ丁寧に終わらせる。
ほんの少し立ち止まることで、固くなっていた心が緩み、見えなかったものが少しずつ姿を現します。
雲は、いつまでも同じ場所にはありません。流れる時が来れば、自然に流れていきます。
SOHO BOX 北浜には、仕事や起業について、さまざまな悩みを抱えた方がお越しになります。
お話を伺っていると、最初は問題が複雑に絡み合っているように見えても、一つずつ整理することで、「まず何をすればよいのか」が見えてくることがあります。
新しい答えを外から加えるというより、その方の中にすでにある思いや考えが、会話を通して見えるようになるのです。
人は迷っているとき、自分には何もないように感じてしまいます。
しかし、見えていないことと、存在しないことは同じではありません。
雲の向こうには、変わらず山があります。
人生には、どうしても心が曇る日があります。
何をしてもうまくいかない日。
誰かの言葉に傷つく日。
自分の選んだ道が正しかったのか、分からなくなる日。
そんな日があってもよいのだと思います。
無理に明るく振る舞う必要も、急いで結論を出す必要もありません。
今できることを一つ行い、雲が流れていくのを静かに待つ。
やがて心が落ち着いたとき、昨日まで見えなかった景色が、驚くほどはっきりと見えることがあります。
「雲収山岳青」
雲が収まれば、山は本来の青さを現します。
山は、雲が晴れたから生まれたのではありません。
初めから、そこにあったのです。
私たちの中にある答えや可能性も、きっと同じです。
心が曇る日には、この言葉をそっと思い出したいと思います。