• SOHO BOX 北浜

    会社概要

    会社概要

    【会社名】

    株式会社MKオフィス (英語表記 MK office Co.,Ltd.)


    【代表者】

    代表取締役 川原田 雅俊(かわらだ まさとし)


    【本店所在地】

    〒541-0045
    大阪府大阪市中央区道修町二丁目2番5号

    イヌイ第ニビル2階

    (ビルの1階は、ヤマト宅急便の配送センターです)

    TEL 06-6226-7708
    FAX 06-6226-7709
    携帯電話 090-8931-3158
    メールアドレス info@sohobox.jp


    【営業時間】

    月曜日~金曜日 9:00~20:00
    土曜日 9:00~17:00
    日曜日、祝祭日はお休みです


    【設立日】

    2010年3月2日


    【資本金】

    3,064,400円


    【取引銀行】

    りそな銀行 大阪営業部

    三井住友銀行 大阪中央支店

    大阪シティ信用金庫 本店営業部


    【事業目的】
    1) レンタルオフィスの運営
    2) 講演、セミナー、研修の企画運営
    3) 経営コンサルティング業
    4) 電話対応代行業
    5) リフォーム業
    6) 前各号に付帯関連する一切の業務
    7) その他商業全般

     

    【経営理念】

    成長と貢献


    【経営6ヶ条】

    ・感謝の心を持つ
    ・人としてあるべき行動を取る
    ・何事にも変化を恐れず、前向きに取り組む
    ・全ての事象について、自らの責任と捉える
    ・正直である
    ・自分に関わる全ての方を尊敬し敬意を表す

  • 代表者

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    あいさつ

    代表取締役 川原田雅俊

    このたびは、弊社のホームページを訪問していただき、
    ありがとうございます。


    株式会社MKオフィスは、レンタルオフィス・バーチャルオフィス・シェアサロン【SOHO BOX 北浜】の運営会社です。

     

    自分の仕事に誇りを持てない大人が増えています。
    そんな大人を見れば子どもたちは「働くことはかっこわるい」。そう思うのも当然です。

    だから働きたくない人が日本に溢れています。


    わたしたちは、日本に誇りを持てる「じぶんビジネスパーソン」を育てます。


    自分の才能を100%活かし社会の困りごとを解決できる起業家、お客様と長く愛し合い経済的にも社会的にも成長を目指す、そんな経営者を育てます。

     

    そして日本に、仕事に誇りを持てる、生き方にゆとりを持てるかっこいい大人を増やし、子どもたちが将来に希望を持てる環境を生み出します。

    自己紹介

    1級建築施工管理技士、1級土木施工管理技士、
    宅地建物取引主任者、測量士補、
    甲種火薬類取扱保安責任者。

    1965(昭和40)年、神戸生まれ。
    国立明石工業高等専門学校土木工学科卒業。

    中堅ゼネコンにて現場監督などを経て
    不動産デベロッパーに転職。
    工事監理等、建設関連業務を24年経験する。

    この会社員時代に「人の動かし方」と
    「クレーム対応能力」を身に付ける。

    2010(平成20)年、
    これらの経験を生かし、
    これからの時代に不可欠な人に役立つ事業をする

    と決意し独立。

    【SOHO BOX 北浜】を設立し、
    述べ230人の起業の後押しに貢献している。

    妻と娘一人の家庭をもつ。

    経歴(その1ー1)

    1965年(昭和40年)3月 神戸市兵庫区生まれ。

     

    幼少の頃、父が購入した家が建つ明石市魚住町へ引っ越し。

    この頃の写真では、自宅前から瀬戸内海が遠くに見えていました。

     

    小さい頃はおとなしく、段ボール箱の中に入れておいても、暴れたりすることはなかったようです。

     

    明石市立魚住幼稚園(年長のみ)、魚住小学校、魚住中学校を卒業。

     

    小学校低学年の時、記憶に残っているのは歯医者の待合室に何時間もいたこと。帰宅時間を過ぎても帰ってこない長男を心配した母が歯医者へ行くと、同じ絵本を繰り返し読む息子の姿が。

    原因は診察券を窓口へ渡していない私。

    今考えると、我慢強いというか、歯科医の受付嬢は何をしてたんだろうかと感じますが・・・

     

    中学時代は校内暴力の始まった時期でした(腐ったミカンの方程式、覚えている方もいるでしょう)。

    が、私とバッテリーを組んでいたのが、ワルのNO.2だったのでトラブルに巻き込まれることはありませんでした。

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    経歴(その1-2)

    自分の望んだ高校に進学できない(させない)という明石市の総合選抜制度に反発し、私学の有名高校を目指しました。が、自己流の勉強では歯が立たず、国立明石工業高等学校土木工学科(現在は改名し都市システム工学科)へ入学しました。

     

    結構勉強して入学できたことで目標を失い、勉学に身が入らない日々。

    気付けば2年生に進級するため、受けられる補講はすべて受けていました。

     

    明石高専は4学科あり、1学科1学年で1クラスだけの40名。卒業までの5年間、同じ顔ぶれです。 長期間、ほぼ毎日顔を合わしているのですから、絆は相当深くなります。

    ただ、進級するためのハードルが高く、落第する人が少なからずいました。もちろん落ちてくる先輩もいました。(最大3歳違い!)

    ちなみに今でも付き合いのある同時卒業の先輩は2名います。

     

    留年することなく、何とか5年間で高専を卒業。

     

    ここ最近の高専は大学進学のための予備校的存在のように感じますが、昭和60年に卒業した同級生で進学したのはわずか数名。

    ほとんどが就職組です。

     

    高専生は即戦力になるので、就職率は100%。私が卒業する年は大手企業の求人票が並ぶ光景ではありませんでしたが、それでもかなりの求人数でした。

     

    もちろん成績順で行きたい会社を選んでいきます。

     

    就職の基準となるのが、4年生の成績。私は中の下。

    私は自宅から通える範囲で探していました。

    経歴(その2ー1)

    明石高専を卒業する5年生(20歳)の夏、神戸に本社があった製鉄会社系列の造園土木会社で働くことを希望し、試験をパス。

    1985(昭和60年)年に就職しました。

     

    バイトとして1週間経過後、4/1に正式入社。

    いきなり一つの現場を任されました。

    神戸市営地下鉄の終点が神戸市須磨区の名谷駅だった時代。

    通った現場は、神戸市西区の開発現場です。

     

    新人研修など何もなく、先輩社員は現場を持って忙しくしており、上司からの干渉も一切なく放りっぱなし。

    何をしたらよいのか?

    右も左も分からない私は右往左往。

    当時、専属下請業者として私の現場で一緒に仕事してた20代後半の男性から、開発公社へ提出する工事写真の撮影方法や、その写真撮影に必要な工事看板の書き方等のレクチャーを受けました。

     

    この会社での一番の思い出は、当時の美智子妃殿下から私たち二人だけに向けて手を振ってもらったこと。

     

    ある道路の緑地管理業務に従事していた暑い夏の日。

    「これから通過されるから、作業を中止してください」と警察官から言われ、一緒に作業してた同世代の男性とバイパスを見下ろす斜面に腰を下ろしました。

    経歴(その2ー2)

    「来た!」

    黒塗りの車の一団が目の前を通り過ぎます。

    後部座席の窓を全開にしている1台の車が見えました。

     

    助手席の後ろに姿が見えた美智子妃殿下が、崖に座っている私たちに気付かれ、手を振ってくださいました。

     

    あの笑顔は今でも鮮明に思い出せます。

     

    その後転職し、土木から建築業界へ移ることとなります。

     

    様々な建築物に携わったのですが、一番記憶に残っているのは新築分譲マンション建設現場でのJV(ジョイントベンチャー)経験。

     

    私が働いていた会社の親会社が、ある工場を閉鎖することとなり、跡地を分譲マンションの建設地へ。

     

    広大な敷地をサウススクエアー、センタースクエアーなどと名付けた工区に分け、ショッピングモールや数多くの中層マンションを建設する計画です。

     

    数多くの大手や中堅ゼネコンがJVを組み、工事を請け負いました。

     

    私の勤務していた会社もS建設と2社JVを組織し参加。

    結婚したばかりの私がその任に当たりました。

     

    大きな現場となると、工種ごとに担当が決まります。

    その担当を束ねる主任がおり、その上に所長がいます。

     

    お世話になったのは、S建設のI所長。

    当時、現場所長としては異例の30代。

    S建設の将来を担うと目されていたバリバリの男性です。

     

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    経歴(その2ー3)

    私の担当は内装全般。

     

    分かりやすく説明すると、コンクリートで躯体が出来上がった『がらんどう』の状態から、人が住めるように完成させるまでの、すべての工程です。

     

    総戸数約170戸のマンションは初体験だった私。

    I所長には頼りなく見えたのでしょう。

    やることなすこと、すべて否定されました。

     

    工事事務所での日々は、毎日針のむしろに座っている感覚です。

     

    お昼になるとS建設が用意してくれるお弁当を、JV職員が同じテーブルで囲むランチタイムがあります。

     

    私の目の前は、いつも所長。

     

    弁当を食べながら「川原田さん、●●どうなってますか?」

    「はい、●●はこういう風に指示してます」

    「うーん、それは△△のようにしないと。今からやり方を変えるように動いてください」

     

    弁当を食べ終え、担当する職長が昼寝している車へ。

    「■■さん、所長がこう言ってるねん。悪いけど昼からこうやってくれへん?」

    「えっ、それ朝礼であなたが言った話と違うやん」

     

    来る日も来る日もこんな感じ。

     

    新婚だったからかもしれないですが、

    『本当によく持ちこたえた』と思います。

     

    その後の話は次回へ。

     

    経歴(その3ー1)

    私の担当は内装全般。

     

    分かりやすく説明すると、コンクリートで躯体が出来上がった『がらんどう』の状態から、人が住めるように完成させるまでの、すべての工程です。

     

    総戸数約170戸のマンションは初体験だった私。

    I所長には頼りなく見えたのでしょう。

    やることなすこと、すべて否定されました。

     

    工事事務所での日々は、毎日針のむしろに座っている感覚です。

     

    お昼になるとS建設が用意してくれるお弁当を、JV職員が同じテーブルで囲むランチタイムがあります。

     

    私の目の前は、いつも所長。

     

    弁当を食べながら「川原田さん、●●どうなってますか?」

    「はい、●●はこういう風に指示してます」

    「うーん、それは△△のようにしないと。今からやり方を変えるように動いてください」

     

    弁当を食べ終え、担当する職長が昼寝している車へ。

    「■■さん、所長がこう言ってるねん。悪いけど昼からこうやってくれへん?」

    「えっ、それ朝礼であなたが言った話と違うやん」

     

    来る日も来る日もこんな感じ。

     

    新婚だったからかもしれないですが、

    『本当によく持ちこたえた』と思います。

     

    その後の話は次回へ。

     

  • 住所

    〒541-0045

    大阪市中央区道修町2丁目2番5号 イヌイ第二ビル2階

    TEL:06-6226-7708

    FAX:06-6226-7709

    大阪メトロ 堺筋線・京阪電鉄 北浜駅6号出口より徒歩2分

    大阪メトロ 御堂筋線 淀屋橋駅11号出口より徒歩6分

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